中卒人間の人生賭博月刊誌

大学受験までの日々を。何も変わらない日常に色を付けるために、少しでも記録しておくために。

社会とずれた男の末路。

今週もようやく終わる。最近は絶対的な勉強時間を増やしたことにより、心身共に疲れは極致を体感した。塾に朝から暮れまでいて、家に帰るとその反動からかスマホや自慰に走る。Youtubeの視聴時間を見ると、一日に平均三時間以上は動画や音楽を楽しんでいることが分かる。塾にはスマホは持っていかないので集中して勉学に励めるのだが、どうも家が不味い。本来自分はスマホなどはいらなくても良いのだが、依存症から抜け出さないようにと、ディスプレイの奥から底なしの快感を餌に沼へと引きずり込まれている。ラインなんかの連絡手段はもっとも、日常に支障をきたしかねないのでどうにもならないが、暇つぶしのツールたる動画サイトや漫画アプリなどには頭を抱える。

夢中に触っているときにはこのような賢者の考えは浮かんでこないような作りが施されているようにしか思えないのである。

 

さて今日は日曜日。7月からは塾に行くことになっているので、今日が丸一日休みの最後の日になる。家にいてもこのようにブログを書くことぐらいしか有意義な時間は過ごせないのでいいのだが、受験という人生の一大イベントについに本腰を据えるようなそんな気持である。高校一年生の夏に学校を辞め、そこから2年間フリーターとして(中卒底辺として)過ごしてきた。そのなかで1年は一人暮らしも経験し、社会の厳しさに耐えれれなくなり大学受験を志してはや8ヵ月経った。最底辺の生き方を経験したのは今後の人生に役に立つが、鬱状態の心を背負わなくてはいけなかった。特異な経験であった。特に一人暮らしの経験は悲惨であった。誰も話す相手もおらず、生き甲斐もなく、ただ働いてお金を稼ぎ、その日の食にありつけるのである。友も1人おれば幸せなもので、孤独からSNSに入り浸るようになって、そのときの依存症からまだ抜け出せていない。煙草も同じ。

鼻紙ほどの人生だが、死ぬ前に何かを成すという気概ひとつで勉強に打ち込んだ。志を手に入れたことは何事にもかえれないものだ。が、二年に及ぶ自己否定と死への欲が代償になった。

 

誰も答えれない究極の命題

「何のために生きるのか」

これをよく考え、時には孤独に沈潜し社会への絶望を感じる。一心不乱に打ち込んできた勉強もまだ出口の見えないトンネルの中にある。明るい未来など待っていないのかもしれない。暗闇の中を、足元しか照らさないライトを持って、慎重に歩を進めるのであった。