中卒人間の人生賭博月刊誌

大学受験までの日々を。何も変わらない日常に色を付けるために、少しでも記録しておくために。

戦後は続くよどこまでも。

ちょうど9月になった。少しばかりpcから離れ、ブログからも離れていた。この1ヵ月を書こう。

腑抜けた生活だった。受験勉強を始めた頃とは比べ物にならないくらいの勉強量と意識の差があった。最近は徐々に取り戻してきているが、所謂中だるみの時期だったんだろうと片づけることにしておこう。実力の上昇が止まり、あとは粘って勉強を続けていくしかない。この時期の努力は大人になったら味わえないだろうから、1日1日を味わいながら、噛みしめながら過ごしていこう。最初の関門はもう2ヵ月まで迫った。焦りとかは無い(それはそれで困るが)

生活リズムを変え、朝型にしつつある。10時には布団に入り、6時ごろ目が覚めるような生活にしていくのが理想だ。朝の時間が沢山あった方が、精神的にもリラックスできる。

 

8月15日。終戦の日。75年前に日本は大きく変わった。悪い意味で変わったのがほとんどだった。今では日本人のほとんどが非戦論者であり、空虚な理想を掲げてあたかも自分が崇高な人間であるかと勘違いをしている。口を開けば「戦争反対」「核兵器反対」

反吐が出る。命の一つも張ったことのない人間の闘争心など絶無であるのに、そんな人間が語る闘争の世界の感想、意見などあてにすることができるのだろうか。戦争を実際に体験したこともない者に戦争のなにが語れようか。

自分は一応人並みよりは多い戦争に関する(大東亜戦争に関わらず)知識は持っていると自負しているが、戦争反対を唱える人間の思考が理解できない。義務教育だけの知識で語るその道の初学者にも及ばない非戦論の中身の無さ、根拠の無さには呆れるよりも失望の情が強い。

古来より戦争には道理があった。その道理を踏みつぶし、何事も無かったように正義のヒーローのように振舞っている国がアメリカである。こんな信用の置けない国の奴が言う平和という物を誰が理解することができるのだろうか。歴史を少し知っている者なら、この絵面事に軽蔑の目を向けるだろう。そしてそんな歴史を知っている者も、終戦から1世紀近く経って、少数派の過激派として世間からとらえられるようになった。或いは右翼とも呼ばれる。この国に骨のある人間などはとっくにいなくなったんだなと、それも歴史から教わった。

 

話がそれたが今日の本題はこれだ。戦争の是非などは議論をするにも及ばない。

こんな薄っぺらい世は、治世とも乱世とも呼ぶことはできないだろう。

だから自分はこんなところで人生を辞めるつもりはないし、このどっちつかずの世を変えて見せようという野心に燃えている。

こんな世を、時代の終焉と呼ぶのかもしれない。