中卒人間の人生賭博月刊誌

大学受験までの日々を。何も変わらない日常に色を付けるために、少しでも記録しておくために。

ローマは一日にして成らず。

日曜日も塾に通うことになりもう2週が経った。

いつもは日曜日は完全に勉強から離れた生活を送っていたので、週7日の勉強は流石に疲労が溜まる。趣味の読書も継続しており、それでさえ読む気が失せるような疲労だ。

目が著しく悪くなっていることを実感している。バスの系統を確認できる距離が確実に近くなっている。目を細めないとなかなか読み取ることができない。今月末に眼科に行って眼鏡を買うことを考えている。こんなところにも代償が必要になってきている。

 

一日中喋らずに書に向かっていると、気が狂いそうになる。勉強自体はやっている時はそこまで苦ではないのだが(たまに爆発しそうになるが…)帰路についた時に体の中からあらゆる感情が憤激してくる。疲れ切ってなにもできないの体に対し、脳は暴発の指令を出している。実際筋肉はそこまで疲れていないので、それに対し命令を下しているのかもしれない。が、その指令さえも朦朧としたなかでの出来事なので無茶なものが多い。

夕焼けを見つめ、夏風に吹かれ、何も考えず放心できたらどんなに気持ちいいことだろう。

 

やはりどんな話題にしろ、人と会話をすることは大事である。それも向かい合って、互いに意思疎通できる人間だとなお良い。それが10分だったとしても、その10分間は何もかもを忘れ会話に熱中できるので、脳の息抜きには最適である。最近では自習をしている年下の人間にも話しかけるように心がけている。それがたとえ時間を大幅に食っても、その時間を後悔しないように勉強の量を増やすようにもしている。

 

日々の積み重ねが大事というが、そこにはいくつかの補足をしなければならない。1日1日にそれぞれ違うことをしていてもその先のは成功は待っていない。毎日同じものに触れ、それを深めるための努力をしてようやく積み重ねは生まれる。

そしてその苦行を最低3ヵ月は継続しなければその成したいものの全体像は浮かび上がらない。浮かび上がるまでに3ヵ月を要する者もいれば、1年経ってもまだ浮かび上がってこない者もいる。その場合、その努力が自分で指摘する問題が無い場合、その成すものの価値は大きい。今読んでいる本にいい言葉が載っていたので、それを借りると「学問の大禁忌は作輟なり。」である。一点集中で物事を為せば、必ず報われる。

 

この境地から先の話は分からない。ここからどうローマに成るのかはまだ経験した事が無いので、ただ持論を全うするしか選択肢は無い。

明日からもまた、作輟しないように、1日1日を過ごすことに努めよう。